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エロティシズム語録 前書き

フランスの思想家ジュルジュ・バタイユ

彼の発表した「エロティシズム」は、

”人間の精神は、極めて驚くべき禁止命令にさらされている。”

という書き出しからはじまる。

人間というのは本当に、自らに禁止命令ばかり出している。

 

裸とは交流(コミュニカシオン)の状態なのだ。

それは自閉の状態を超えて、存在のありうるべき連続性を追い求めるということなのだ。

 

人が通常の生活態度からエロティックな欲望に移ってゆくとき、そこには死の根源的な魅惑が作用している。

エロティシズムの中で作用しているのは、つねに、確固とした形態の溶解ということなのだ。

 

恋人たちの情念は、肉体の融合を延長させる

 

この情念を体験するものにおいて、この情念が肉体の欲望よりももっと暴力的な意味をもつことがある。

至福の約束がこの情念に伴っているにもかかわらず、この情念がまず初めに混乱と変調を齎すということを私たちは決して忘れてはならない。鼓腹な情念それ自体が大変荒々しい無秩序を惹き起こす。

 

好ましい偶然が、愛するものを自分のものにさせる

 

恋人にとって愛する相手は世界の透明さである。愛するものの中に透けて見えるものは、個人の不連続性によって限界づけられない完全な無際限の存在である。一言でいうと、それは。恋人からすれば解放と映る存在の連続性のことである。

不条理、混合、苦悩を通して、奇跡のような真実が現れるのだ。

 

死におけるまで生を称えること

 

人は自閉への意思を拒むことによって私たちに開かれるエロティシズムの領域の一体性を、その内部において、理解できるようになる。エロティシズムは死へと開かれている。死は人を個体の在続の否定へ開かせる。私たちは、内面の暴力がなかったならはたして、私たちを可能なこといっさいの限界へ導く否定を引き受けることができただろうか。

 

前書きの最後はランボーの詩で終わる。

 

見つけ出すことができたんだ。

何をだい?

永遠さ。

それは、太陽と

一緒になった海なんだ。

 

 

このランボーの詩、つい最近もどこかでみたような...

 

ゴダール気狂いピエロだ。

 

ちなみに、最新リマスター版の気狂いピエロではこのような日本語訳になっている。

 

また見つかった!

何が?

永遠が

太陽とともに去った

海が 

 

 

 

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(写真はヴードゥー教のマスクを被った少年)